2016年1月30日土曜日

一休さんの鰻から逃げたい人生だった?


 名僧一休禅師にこんな逸話があります。

 一休禅師がお弟子さんと二人で町を歩いていた時のことです。鰻屋の前を通りかかった一休さん、鰻を焼く香ばしい匂いに「おお、うまそうだな」と独り言。

 そこからしばらく歩いた後でお弟子さんが意を決したように口を開きます。「先ほどの禅師の言葉は御仏に仕える身として不謹慎ではないでしょうか」

 一休禅師は「なんじゃ、お前はまだ鰻のことを考えておったのか。わしはそんなもの店の前に捨ててきたぞ」と。

 このお話、何が言いたいかというと、何ものにも囚われず、すべてを捨て去ることも厭わない『放下著(ほうげじゃく)』なる禅の境地を表したもの……なのですが、私にはそんな境地がいかなるものか理解しえないし、たどり着くことも不可能でしょう。では如何にすべきか?

「だったら鰻屋の前は鼻を摘んで通ろう。っていうか、鰻屋に近づかないようにしよう」

 恥ずかしながら、これが私の出した答え。そもそもが多情多恨で、なおかつ諸事において影響を受けやすい性格。鰻の匂いに惹かれるどころか、鰻のタレを甕一杯に頭からザンブと被って、そのドロドロの中でのたうち回るような半生を送ってきた身としては、心を乱す要因を遠ざけるのも有効な手段かと。

 ちょっと前に女優の米倉何某が演じたフリーランスの凄腕外科医よろしく、必要以上の人付き合いも、心にもないヨイショお上手を口にすることも、惚れた腫れたに首を突っ込むのも、誰かの所業に腹を立てたり矯正させようとしたり、いわんや腕づくで言うことを聞かせようとしたり、諸々すべて「いたしません!」ってな。

 ただ、こういう俗っぽい諸々って、実は非常に扇情的かつ魅力的で、だから人は「嫌だ嫌だ」と言いつつ罠に嵌るがごとくに自ら飛び込んでいっちゃうんだよなぁ。ヤレヤレだぜ。

 な〜んて、こんな寝言が言えるのも一人親方の職人仕事だからこそ。この技を授けてくださった師匠への報恩は何があっても忘れるべからず。生涯、串本町に足を向けては寝られません。

 しかしまぁ宮仕えをしてたり、人を使ってたりしてれば嫌でももれなく浮世の義理は付いてくるもの。

「ホントに『生きるは苦ばかり』だよなぁ」と嘆息するふりをしつつ、今日はこの後の予約は入ってないし、土曜日だし、そろそろ一杯始めちゃおうか。それとも4時(あしたか院長的な夕方の始まり)までは待とうか、と。

 いやはや我ながら惚れ惚れするくらい呑気だねぇw

 

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