2015年10月17日土曜日

英霊の言の葉




「本棚の隅にでも置いてください」とお馴染みさんが持ってきてくださいました。

 この『英霊の言の葉』は、靖國神社の社頭の掲示板に月替わりで掲げられる遺書や書簡をまとめた本です。この掲示板の前では常に多くの参拝者が立ち止まり、ある者は目頭を押さえ、ある者は鼻をすすりながらも熱心に遺された言葉を目に焼き付けています。

 頂いた冊子をパラパラとめくっていると、私が非常に感銘を受けた遺書も収録されていました。





陸軍歩兵中尉 立山英夫命 歩兵第四七戦隊

昭和十二年八月二十二日支那河北省辛荘付近にて戦死

熊本県菊池郡隈府町出身 

若し子の遠く行くあらば 帰りてその面見る迄は
出でても入りても子を憶ひ 寝ても覚めても子を念ず
己生あるその中は 子の身に代わらんこと思い
己死に行くその後は 子の身を守らんこと願ふ
あゝ有難き母の恩 子は如何にして酬ゆべき
あはれ地上に数知らぬ 衆生の中に唯一人
母とかしづき母と呼ぶ 貴きえにし伏し拝む
母死に給うそのきはに 泣きて念ずる声あらば
生きませるとき慰めの 言葉交わして微笑めよ
母息絶ゆるそのきはに 泣きて念ずる声あらば
生きませるとき慰めの 言葉交わして微笑めよ
母息絶ゆるそのきはに 泣きておろがむ手のあらば
生きませるとき肩にあて 誠心こめてもみまつれ

お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん



 この遺書の現物は靖國神社内の遊就館に展示されています。母親の写真の裏に几帳面な小さな文字で書かれた母を讃える長歌、それに続いて24回も繰り返される『お母さん』の文字はわずかに乱れ、まるで感情の昂りを必死に抑えているようです。 私は遊就館で初めてこの遺書を目の当たりにした時、思いっきりブン殴られたかのような衝撃を受けて、しばらくその場に立ちすくんでしまいました。

「皆、一銭五厘の赤紙一枚で嫌々無理やり戦争に行かされて、『天皇陛下万歳』ではなく『お母ちゃん』と泣きながら死んでいったんだ」と、まるで英霊を貶めるかのように語る人がいます。それならば、繰り返し「お母さん」と書き綴ったこの遺書は女々しい恥ずべきものですか? 当時の人は決してそうは思っていなかったようですよ。

 つい最近も保坂何某なる人物が「特攻機は敵艦を見つけてから飛び込むまで無線のスイッチを入れたままにしており、受信機からは母を呼ぶ声、死にたくないという叫び、怨嗟の声が響いた」などと言っていたそうです。

 これも大嘘です。まず、特攻機に電話式無線機など積んでいません。それでなくとも当時の国産無線機は性能が悪く、とても実用に耐えうるものではありませんでした。地上基地との交信など不可能です。

 先日訪れた予科練平和記念館でも解説していましたが、特攻機は敵艦を発見すると「敵艦見ゆ」とモールス信号で打電し、次に「我突入す」と打って飛び込んでいったそうです。しかしながら、末期には対空防御が破れず「敵艦見ゆ」の直後に撃墜されることが多かったとのこと。

 どうしてこんなにすぐにバレる嘘をつくのでしょうか。そこまでして英霊を貶めたい理由は何なのでしょうか?

 この冊子は本棚の一番目立つところに置いておきます。どうぞ手に取ってみてください。英霊の生前の声を聞いてください。父母を敬い、妻を子供を愛し、遠く戦地から故郷の山河を思う。その言葉に耳を傾けて、先の大戦がどのようなものであったのかに想いを巡らせてみてください。

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